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30代後半の覚束ない妊活を記録する

30代後半。やっと妊活しようと思うようになりました。

出産後の入院生活まとめ

私が出産・入院していた病院は母子同室、母乳育児推進のところでした。そういう病院を敢えて選んだわけではなく、家から近くてNICUがある病院、と思ったらそこだったというのが病院選択の理由なので正直ミルクでも(出るなら)母乳でもどっちでもいいけど母乳育児は大変そうだなぁという気持ちでした。

入院の案内には夜間授乳はできるだけ授乳室で、と記載されていたので毎晩毎晩、面倒だけど律儀に1、2時間おきに授乳室へ移動。と言うかなんとなく昼間も授乳室へ。しかしいつも授乳室にいるママの顔ぶれが同じ(=大半が恐らく病室内で授乳している)ことに退院前日位に気づく。そうなのです、無駄なところで生真面目なのです。

常に授乳室にいる私、完全母乳育児を目指す人と思われたようで熱心な指導を助産師から受ける。混合でいくつもりだったがミルクの作り方を教えてもらえたのは出産後4日経った頃。教えてくれとはずっといい続けていたのだが、助産師「まずは母乳飲ませてから」→「(授乳前と後で赤子の体重はかって)結構飲んだから今回はミルクいらないですね」の繰り返しだったのです。そして赤子はミルクあまり飲まず。

授乳室はみな乳まるだし、長めパジャマ(上)のみを着て、授乳しやすいよう片足を小さい台に乗せているためだいたいの人がパンツ見えてる。明け方はうつらうつら目を閉じながら授乳してる人も多い。授乳室で和やかな会話なんてものは一切無くみな空を見つめて赤子に乳を吸わせていた。私も。

パジャマは病院のレンタルを使用。シャワー浴びる時に替えのパジャマ下さいとナースステーションに行くのだが、看護師さんも「パジャマのズボン、いる?」と聞いてくるのでなんとなく要りません、と答えてしまう。帝王切開ではないしお腹にゴムが当たるの痛くはないのだけど、ズボンをはく体勢が微妙に辛かった。えいんが。

点滴失敗によるアザがすごく大きく痛みもあり、どの助産師さんも会話するとアザに気づいて謝ってくれた。なんとなく、「大変な思いをした」分かりやすい印っぽくて本人的には満更でもない感じだったので謝られなくても問題無かったのだが。ちなみにこのアザ、今も残ってる。

病院で、お産用セットとして配布されたグッズ(産褥パッド、産褥ショーツ、おしり拭き)では足りず、売店で購入。おしり拭き1パック600円位して驚いた。家から持っていけば良かった。

週数や体重によるのだと思うが、ほにゃあほにゃあと泣く赤ちゃんは赤ちゃんらしくてとても可愛い。我が子はどこの部位も大きめ、予定日オーバーのせいかあーいあーいと大声で絶叫するように泣くのでちょっと辛かった。

妊婦向け母親学級の沐浴見学と、退院するママ向け沐浴見学にそれぞれモデルとしてご指名を受ける。一応親として浮き足だつべきかと思いオットと少しはしゃいでみた。母親学級ではパジャマ(上)だけのボロボロの姿で妊婦相手に出産について語るという謎の大役を急遽指名されて偉そうに話してきた。

個室なのである程度テレビもラジオも自由にできた。入院中ラジオのアプリを急遽いれて音楽を聞いていたが、アプリ説明ではJPOPと書いてあるのにどうも選曲が古め。演歌ばかりが流れているタイミングで病室に助産師が話に来て、気まずい思いで会話していたが、最後に24時間戦えますかのユンケルの曲が流れた時に助産師がたまらず「さっきから渋いの聴いてますね」と突っ込んできた。変な汗がでた。

入院時に海老かにアレルギーについては話しており、エキス、粉程度でも気道狭窄が起きるから全て禁止で、という話をしていたが入院2日目に疑わしきもの(カニカマ)がでる。看護師さんに伝えたところ、ちゃんやってるはずだからカニエキスは入ってないはずと言われるが、翌日のご飯からメニュー表の禁止欄にかにアレルギー、海老アレルギーと印字されてきた。最初禁止欄空欄だったぞ、ちゃんとやってないじゃないか…とモヤモヤ。

退院の日は母が買ってくれたベビードレスを着せる。そして自宅に帰って一週間経った頃、そう言えばベビードレス着た赤子の写真も、私とオットと赤子の3人での写真もいまだに撮ってないことに気づく。退院はバタバタです。

というわけで退院からだいぶ経ちました。母が来てくれていますが、長く別に暮らしている母との同居生活はなかなか大変です。